砧 [能・狂言]
三連休の初日、自転車乗りの友人に大槻能楽堂の研究公演の招待券をいただい
たので、ちょっくら観に行ってきました。
出掛けにカレンダーを見たら、本日は新暦の初午(旧暦でお参りするところも多い
です)、お能を観る前に、大槻能楽堂近くにある玉造稲荷神社に参拝。
お参りの後、境内を見渡すと、この玉造稲荷神社はお伊勢参りの西の起点になっ
ていたようで“伊勢迄歩講起点碑”が立っていました。
石碑といえば、玉造を歌った小野小町歌碑「湊入りの玉つくり江に こぐ舟の音こそ
たてね 君を恋ふれど」なんてものもありました。
また、玉造という地名は勾玉の製造地だったことに由来するということで、境内には
勾玉を展示する難波玉造資料館なんてのも在りましたが、入るには事前予約が必
要ということで残念ながら今回は勾玉を見ることはできませんでした。
とは言え、さすが玉造稲荷!お狐さんが勾玉のネックレスを付けていました!(笑)
初午で稲荷神社に参拝したし、初午と言えば初午いなりだよな~!って感じで、昼
ごはんは、松屋町にあるいなり寿司屋「いなり屋こんこん」さんで“いなり定食”をい
ただきました。
おばあちゃんの作る色鮮やかな具だくさんのいなり寿司、めちゃ美味しかったです。
松屋町から高低差の楽しめる空堀通りをトボトボ歩いて大槻能楽堂に着いたんで
すが、開演まで少し時間があったので、能楽堂近くにあるシフォンケーキの専門店
「Sucre Terrasse」さんで、メープルシフォンケーキを頬張りながら時間待ち。
ソファーにどっかと腰掛けてフワフワのシフォンケーキとアールグレイでひと休み!
なんだかお能を観る前からぼんやり夢心地。。あかん!眠い。。。
観る前から睡眠モードに入りつつ、大槻能楽堂の自主公演能「研究公演 砧」へ。
先ず、天野文雄先生の「砧考 世阿弥の砧を読み解く」と銘打った講演。作者の世阿
弥をして“かやうの能の味はひは、末の世に知る人あるまじければ”言わしめた「砧」。
古い台本を紐解くと現在行われている砧とは一部分だが違った台詞があり、その台
詞の違いから砧を再考したとのこと。また、夫が都に上って音沙汰無しで3年経過し、
残された妻にとっては、この3年という数字が非常に重要な意味があると定義した点
(昔は、夫婦どちらかが3年間音沙汰無しで離れていると離婚が成立するという慣習
があったらしい)をふまえて、観てほしいとのことでした。
そして、野村四郎さんのお能「砧」。
夫が都に訴訟のために上って3年、福岡に残された妻は、砧を打ちながら不安な気
持ちを抑えて待っていたが、夫の侍女夕霧が戻ってきて「今年の秋にも戻れない」と
言う夫の伝言を聞き、ショックで亡くなってしまう。
その年の暮れに戻ってきた夫のところに幽霊として現れた妻が恨み言を言うが、夫
の法華経の法力で成仏するという話。この夕霧の「今年の秋にも戻れない」と言う伝
言が、現代では「使いが来て、今年の年の暮れにも戻れない」と言う伝言に変わって
いるそうです。現代版の砧を知らないので、どんな差になっているのかは、分りませ
んでしたし、途中、ほとんど動きが無くなる場面では、時折、撃沈してしまいましたが、
全体として、楽しく拝見させてもらいました。
最後に、天野文雄さん、大槻文蔵さん、野村四郎さん、福王茂十郎さんのアフタート
ーク。何が面白かったて、実はここが一番(?)面白かったりしました。(笑)
普段の砧を知らないので、本編中の野村四郎さんの工夫はまったく分りませんでした
が、野村さん曰く、今回の天野さん解釈、古い文献、新旧台本、過去の先輩方の公
演情報を紐解いて、福岡と都の距離感を狭い能舞台のほんの少しの立ち位置の違
いで表現したり、夕霧から直接夫の伝言を聞く時の受けかた(現代版は夕霧から使
いの者が言った夫の伝言を間接的に聞くので、直接とは聞き方が違うはずだという
解釈)、ショックを表す扇の落しかた、福王さんや囃子方と最後の成仏の場面の唐突
感を抑える調整をしたことの他、今回の小道具の砧は、上村松園さんの絵をヒントに
小振りに作ってあり、舞台の上での置く位置も工夫したなど、見る人が見ると、かなり
違った趣を感じる演出になっていたそうです。
分らないことも多々有りましたが、大変、楽しいお能の講演&公演でしたし、久々に
自転車乗りの知人の方々とも会えました。感謝です。
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